香取華子さん 性的マイノリティーも暮らしやすい社会に‐「自分の心に正直に生きたい」

 今回お話を伺ったのは体は男性として生まれながら、女性の心を持った方、香取 華子( 仮名)さん。お会いした印象はとても優しい雰囲気をお持ちの綺麗な方です。
ずっと自分の体に違和感を持ちながら、その思いを隠してきたのですが、女性として生き る道を選び、カミングアウトされました。 大学教員という職に付き、家庭もお持ちだという環境の中で今日に至るまで社会の目やプ レッシャーに苦しんで来られたようです。
今回は同じような苦しみを持っている人たちの ことを世の人に少しでも理解してもらいたいという思いから、ずっと心にしまい込んでい たことをお話しくださいました。


<アメリカ時代 お子様と>


 <性的マイノリティーとは?> 

まず香取様のお話を伺う前に性的マジョリティー、マイノリティーについ て少しご説明頂けますか 

性別には大きく分類して •体の性(男・中性*・女) *性分化疾患:出生時に男女の区別ができない状態の人 •心の性(男・中性 + ・女) + 男女のいずれかとは認識していない人 •恋愛対象の性(男・女・両方・無) の3種類があります。つまり、3×3×4=36通りの組み合わせがあるのですね。

 性的マジョリティーとは、体(男)―心(男)―恋(女)、または、体(女)―心(女)― 恋(男)とされています。 それ以外の34通りの組み合わせが性的マイノリティ―・LGBTと呼ばれています。 •Lはレズビアンで心(女)―恋(女) •Gはゲイで心(男)―恋(男) •Bはバイセクシャルで恋(両方) •Tはトランスジェンダーで体(男)―心(女)、体(女)―心(男)または体(男)―心( 中性)、体(女)―心(中性) の組み合わせです。 
ここではわかりやすいいように各々の項目とも男・中性・女・両方・無と大まかに分類しま したが、実際ははっきりと分類できるものではありません。 性的マジョリティーと言われる人も含めて、どんな人でもグラデーションのように男女両 方の要素を兼ね備えています。そういう意味で組み合わせは人の数と同数の無数の組み合 わせがあると言えるのです。 私の場合は、体(男)―心(女)―恋(女)なので、LレズビアンとTトランスジェンダー に該当します。
 ちなみに、Tトランスジェンダーの恋愛対象 * は、体(男)―心(女)の人で、恋(男 )44.8%、恋(女)15.5%、恋(両方)23.0%、恋(無)9.2%、体(女)―心(男)の人 で、恋(男)1.7%、恋(女)90.8%、恋(両方)4.4%、恋(無)2.4%のようです。 <*針間 克己:「性同一性障害」:DOI:10.14931/bsd.4764より>

なるほど、性的マイノリティーと言っても人によって色々なケースがある のですね。それでは、香取様ご自身のことをお聞かせくださいー

<幼少期の苦悩> 〜インドア派の幼少時代〜
香取様は小さい頃どのようなお子さんだったのでしょう?


 男兄弟だったので、母は女の子が欲しかったのかもしれません。
幼い頃は母の手作りの可 愛らしい色やデザインの洋服を着ていることが多くて。
自分ではそれが当たり前でしたし 、周りの人たちも女の子と思っていたみたいです。
男の子が遊ぶような野球やサッカーなどにはあまり興味がなかったですね。
合唱部に入っ たり、天体とか自然が好きで、理科が大好きでした。

<幼児期弟さんを抱っこする香取さん>


 <性別の自覚〜>
最初に自分の性別に疑問を感じたのはいつ頃ですか?

ー 自分でも女と男の違いを理解できていなかったところがありました。
3歳くらいの時、お 風呂やさんで他の女の子を見て自分との違いを知ってショックを受けたことを覚えていま す。 それと、幼稚園のプールの授業の時、自分はワンピースの水着を着たかったのですが、「 男の子がワンピースを着たらおかしいよね」と言われて、とても悲しかったです。

 
<子供の頃の体験がトラウマに>
心と体の違いによる辛い思いはしませんでしたか?

 小学校のときに、年上の男の子に裸にされて悪戯をされたことがあり、それ以来、年上の 男の子が怖くて苦手になりました。その頃から男の子より女の子に憧れるようになったん だと思います。
それと成長期に入ると、心とは裏腹にヒゲが生えてきたり、体つきも男らしくなっていき ます。
それは心が女性の私には辛いものでした。女の子のような可愛らしい格好をしたく ても、見た目が男性なので似合わないでしょう? 自分は男性なんだ、女性にはなれない んだと言い聞かせるようにしていました。

<幼少期 お母さまと一緒に>


心と体の相違に気付いたとき、ご家族やお友達に話しましたか?
いいえ、できなかったんです。 中学生のときに、父を亡くしました。そのとき「男なんだから、お父さんの代わりになら なくちゃね」と言われたのです。自分がしっかりしなくちゃいけないと思い、母に女の子 でありたいという気持ちを打ち明けることができませんでした。
それ以来、誰にも自分の心の内を話すことができなかったんです。
中学や高校の友達にも 仲のいい人はいても、自分の心が女性である、女の子になりたいということは隠し続けな くてはならないと思っていました。
小学校の頃から、男っぽくしようと努力してはその反 動で、無理がきて女の子っぽくなるという周期が半年おきくらいで繰り返す年月を過ごし てきたのです。 



<初めて告白できる人に出会えた喜び>
その葛藤はいつ頃まで続いたのですか?今もあるのですか?

つい最近までずっと葛藤していました。苦しかったです。大学に進学してある女性に出会 い、私の心が女性であることを認めて恋人になってくれました。初めて自分の気持ちを打 ち明けることができた人です。女の子になりたいという気持ちを理解してくれました。
彼 女とはその後お別れをしたのですが、今でも胸がキュンとなる思い出です。
 その後もずっと、女性として生きる決意をするまで、男らしくあろうとする自分と女性で ありたい自分の葛藤は続きました。 


<生涯の伴侶となる奥様との出会い>
今の奥様とはどのようにして出会われたのでしょう?

同窓会で出会いました。でもその時はまだ見た目は男性でしたので、彼女も私と男性とし て付き合っていました。彼女に告白したのは結婚前のことです。自分の心は女性であるけ れど、彼女のことを愛していると伝えるのは一大決心だったんです。
でも後で聞いたら、 そのとき彼女はもともと中性的なところがある人だとは思っていたけれど、私の必死の告 白を冗談だと受け取っていたそうです。
 私は結婚しても男性としての生活を続けました。
子供は好きだったので欲しいと思ってい ましたが、なかなか子供に恵まれず、不妊治療の相談をしたりもしました。結婚4年目に して子供を授かったのです。出産にも立会うことができて、それはもう嬉しかったです。

  <アメリカ時代 お子様と>

<日本で女性として生きる難しさ〜ガラスの天井〜>
女性として生きようと思ったきっかけはありましたか?

アメリカに留学していたときの経験が大きかったです。アメリカでは自分のことを当然の ように女性として扱ってもらえたのです。女性であることを隠さなくていい、女性として 接してもらえることの心地よさ。このとき女性として生きたいという思いを強くしました 。
 2004年に施行された“性同一性障害者の性別の取扱いの特例に関する法律”は家庭裁判所の 審判により、法令上の性別の取扱いと、戸籍上の性別記載を変更できるというものです。
 しかし、それには5つの条件があります。
1)20歳以上であること
2)現に婚姻をしていないこと。(離婚すれば可能。または、同性婚を認める動きがある ため同性婚が認められれば削除される可能性大。)
3)現に未成年の子がいないこと。(子供が成人すれば可能。成人年齢を2021年4月に18 歳に引き下げる法案を法務省が提出中。この条項自体の削除も検討中。)
 4)生殖腺がないこと又は生殖腺の機能を永続的に欠く状態にあること。(元の性別とし ての生殖能力がないこと)
5)その身体について他の性別に係る身体の性器に係る部分に近似する外観を備えている こと。(性器の見た目が、新しい性別のものであること。4と合わせて性別適合手術をす ると可能。この条項自体の削除が検討中。)
当時の私は男性として生きていましたから、この条件にはほとんど当てはまりません。
法 律では今の私は戸籍上の女性としては認められないのです。でも今年の初めになるのです が、自分と同じように結婚して子供もいて、なおかつ女性として生きている方をブログで 知りました。
5つの条件が将来的に緩和される動き、そして同性婚が認められる動きを見 越してのことです。
つまり、私も今から準備すれば将来は戸籍上も女性になれる可能性が あると思いました。

 <性の選択肢>
それまでは諦めていたのですか?

そうですね。諦めていたというよりは考えもしなかったというのが正直なところです。
た だ、そのように生きている人のことを知った時期が今で良かったと強く思っています。
結 婚して子供ができる前に、戸籍上、男性であっても女性として生きる道を知っていたら、 今の妻や子供とも出会うことができなかったでしょうから。

 戸籍上の性別に疑問をお持ちですか?
 果たして戸籍に性別は必要なのか?と思います。
今、私は戸籍上は男性なので、パスポー トや免許証も男性となっていますが、見た目は女性です。
戸籍上の性別って何の役に立 つのでしょう? 例えば海外へ行ったときイミグレーションで止められたことは一度もあ りません。遺伝子上の男性か女性かということが社会で必要な情報なのかという点につい ては疑問を感じます。

<本当の性を取り戻す決意〜女性として生きる〜>
女性として生きる決意をしたのは他に理由がありましたか?ー

ちょうど体調が良くなくて診察を受けたところ、男性ホルモンの値が低い男性更年期障害 であるということがわかりました。治療法としては男性ホルモンを投与するか、逆に女性 ホルモンを投与してどちらかのホルモンの値を多くすることです。
 診察にあたった先生が私の様子を見て、女性ホルモン投与の治療を教えてくださいました 。
それはつまり、女性らしくなっていくということなんですね。
自分には家庭がありまし たから、悩みました。そして妻に相談したのです。
自分は女性として生きていきたいと。 でも今の家庭を壊したくはないのだということを。
すると妻は私が男性とか女性とかでな く、ただ側にいてくれるだけでいいと言ってくれました。

<ご家族や職場の方々の反応>
 お子様は香取様のことをどのように理解されていますか?

子供なりにちゃんと理解してくれているようです。
妻とも「いつか大きくなったらきちん と説明しないとね」と話し合っていたのですが、今の子供は小学校で LGBT(性的マイノ リティー)についても習うようなのですね。
だから私のこともそういう人なのだと思って いたそうです。
女性として生きるようになった私のことを「じゃあ、これからはパパでは なくて華ちゃんと呼ぶね」とサラリと言ってくれました。

職場や友人など周囲の人たちはどう変わりましたか?ー
それが、周囲もすんなりと受け入れてくれたんです。家族もそうですが職場でも。
例えば トイレを使うとき、今までは多目的使用トイレを使っていたのですが、担当部署の方と面 接をして、女性用を使っても良いということになりました。
同僚も、変わりなく自然に接 してくれています。
 最近嬉しかったのは、ある学校で女性として採用されたことです。履歴書には男性か女性 かを記載するところがありますよね。私はそこを記載せずに写真を貼って応募したのです 。きちんとした面接や選考を経て採用が決まりました。

 <自身の心を解放できて>
ご自身はどう変わったか、感じることはありますか? 

今までの半年周期の男性と女性の葛藤から解放されて自然体でいられる自分を感じました 。
今では昔から自分が望んでいたように女性の格好をしてお化粧もすることができます。
妻と一緒に服を買いに行ったりもしますよ。自分本来の心のままに生きることを選んだこ とで、今まで以上に家族にも優しくでき、仕事にも一層身が入るようになりました。


 <誰もが生きやすい差別のない社会にしていくために>
 
相手の気持ちを一番に考える
アウティングについて、お考えを聞かせてください。
これはもう「カミングアウトした人の意志に従う」ということに尽きます。
例え良かれと 思ったとしても、他の人に話して欲しくないことは、勝手に他人に言ってはいけないので す。そうすれば悪意はなくても知らないうちに人を傷つけてしまうこともなくなっていく と思います。 私にも複雑な思いがあります。このような機会を得て、少しでも多くの人たちに知っても らうために役に立ちたいという思い。しかしそれは同時に自分をさらけ出すということで あり、一方では元男性であることを誰にも知られずに女性として普通に暮らしたいという 思いもあるのです。


<今は過渡期。でもきっと良い方向へと向かっている>

LGBTに対する今の社会をどうお考えですか? 
今は過渡期にあると思います。昔から私のように性的マイノリティーの人たちはいたはず です。でもそれを表に出すことは叶わなかった。今はLGBTという言葉も使われるように なり、カミングアウトも以前よりしやすくなってきたと思います。しかし、性的マイノリ ティーに対する意識は日本はまだまだ遅れているところがあります。でも間違いなく社会 は私たちのような境遇の人たちも堂々と主張ができる方向へと向かっていると言えるでし ょう。


<新しい価値観を認めていく社会へ>
これからの社会にどのようなことを求められますか?
古い伝統や常識では理解できないことも、合わないからといって攻撃したり侵害するので はなく、個人個人の価値観で生活していける生きやすい世界になっていってほしい。排除 するのではなく、先ほどのアウティングにもつながるのですが、価値観の違う相手を思い 合い、認め合うことが大事ではないでしょうか。 それと、同性婚を認めてほしいという思いがあります。これは私のような境遇の人やゲイ 、レズビアンの人にとっては幸せになるために必要な制度です。しかも異性愛の人にとっ ても不利益がありません。つまり異性愛の人は黙認してあげるだけで、同性愛の人に幸せ をプレゼントできるんです。


 <取材後記:和田文

少しうつむきながら誠実にお話をしてくださる香取様はとても女性らしい素敵な方でした 。
“性的マイノリティー”“LGBT”と言う言葉で表現しても、それは人によって思いや価値観 も違います。そんな括る言葉が必要なくなる世の中が来ればいい。差別なく、皆が共存で きる社会を私たち自身の手で創っていかなくては。心からそう思います。今の社会ではま だ全ての人が認めているとは言いにくいかもしれません。ですが相手の立場に立って理解 しようとする気持ちこそが大事なのだということを改めて認識しました。 一人でずっと葛藤し続けた苦しみは想像を絶するものであったでしょう。そしてご自身の ことをお話しされるのはとても勇気のいることだったと思います。貴重なお話をしてくだ さった香取様、本当にありがとうございました。


香取華子(仮名)
2児をもつ大学教員。
男性として生まれながら女性の心を持ち、幾年もの葛藤を経て、 現在はありのままの姿で社会生活をおくっている。



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