荒井大輔さん 車いすテニスプレーヤー「車いすテニスを通してバリアフリーな社会を実現したい」

「車いすを通してバリアフリーな社会を実現したい」
2017年4月いっぱいで、勤めていた岐阜にある福祉機器メーカーをを退職し、車いすテニスプレーヤーとして2020年の東京パラリンピック出場を目指す決意をした荒井大輔さん。それは車いすテニスを通して自分にはやるべきことがあるから。現在国内ランキング11位。意外にも車いすテニスを始めたのは3年ほど前のことだそうです。荒井さんのこれまでの足跡とこれからのビジョンを、試合用の車椅子・義足の製作や相談にも乗っている(有)湘南義肢研究所の事務所にて伺ってきました。 



<他の人と違う?! 障がいを意識するようになった子供時代 >

−荒井さんが義足や車椅子を使うようになったのはいつからですか?

 私は先天性右足脛骨欠損症といって、生まれつき右足の膝下の内側にある脛骨が無いという障がいを持って生まれました。自分の足では体重を支えることができないため、今でも普段の生活では右足のみ義足で生活していて、車いすテニスの時は試合用の義足と車椅子を使っています。 ですから小さい頃から普通の人が靴下を履くような、視力の弱い人がメガネをかけるような感覚で義足をつけていました。自分ではそれが特別なことだと思っていなかったのです。

 −いつ頃から意識するように? 


意識するようになったのは小学校に入ってからでしょうか。義足で歩くのは見た目も違うし、他の子たちより走るのも遅かったので、体育の授業だったり運動会だったり、ことあるごとに他人の視線が気になりました。 「なぜ義足をつけているの?」とか「なぜそんな歩き方をするの?」と、面と向かって言ってくれた方が自分としては気持ちが楽でしたが、多くの同級生は見て見ないふりです。一緒に遊べないで自分だけが蚊帳の外にいるような気持ちになって。辛かったし、将来を悲観してばかりいました。 つい最近父親から聞いたのですが、幼い頃、私は「お姉ちゃんみたいな足が欲しい」と言ったそうです。自分ではすっかり忘れていたのですが、親としてはとても傷ついたんじゃないかと思います。

−そういう言葉が出るくらい、ご自身も傷ついていらしたんですね。


<テニスとの出会いが世界を変えた>


 −テニスを始められたきっかけは?


中学に入って、小学校からの友人に「軟式テニス部に入るから一緒にやらないか」と誘われたんです。その友人も私もテニスはやったことがなかったのでゼロからのスタートです。同じところから始めて、一生懸命練習して。中学1年生で上級生の大会に出られるまでになったのです。義足とかそんなこと関係なく、努力をすれば人よりも上手くなれると知りました。 私以外の部員はみんな健常者でしたけど、部でもレギュラーになって大会に出場し、地区優勝することができました。
これがものすごい自信になりましたね。やっと他の人たちと同じステージに立てたんです。
今まで人に見られるのも嫌だったのに、やってみたら同じスタートラインから始めた人より上達できた、足がどうの、なんて関係ないんだと思えました。 テニスに出会って私の世界は劇的に変わりました。中学、高専とテニス部の部長も務めましたし、地元のテニスクラブにも通いました。
もう毎日テニスばかりやっていたと思います。 


<自分にできることってなんだろう?>

 −高専を出てからはお勤めに?

高専ではモノ作りを勉強していたのですが、卒業する頃になって、進路についていろいろ考えました。自分にできることってなんだろう? もしテニスと出会っていなかったらどうなっていただろう? と。自分のように人前に出ることが好きになれなかった人たち、あの頃の自分のように将来を悲観している人たちに、自分と同じようにやりたいことに出会うようなきっかけを作るようになりたい。
それが私の出した答えです。 そこで、人とモノをつなぐ仕事に就けないかと、大学に編入して人間工学を学びました。学生の頃はアルバイトでアメリカンレストランで働いたりもしました。そこで多くの海外の人たちと交流する機会があり、バックパッカーで海外旅行をしたり、就職前はワーキングホリデーでオーストラリアに1年間行っていたこともあります。
幼い頃の自分からは考えられないでしょう? 自分はテニスに出会ったことで変われたのです。
就職は義足や車椅子を製作している会社へ就職しました。
配属されたのは車椅子の営業でした。自分としてはちょっと「えっ!」という感じはありました。
人とモノをつなぐために、自分の経験を活かして義肢などを作る仕事がしたいから人間工学を学んだのに、営業?! って。 でもこの就職が車いすテニスへの道を開くことになるんですから、運命ってあるのかもしれませんね。

<(有)湘南技師研究所にて打ち合わせ>



 <ロンドン・リオのパラリンピック代表選手との出会い >


−車いすテニスとの出会いを教えてください


 車椅子の営業をして程なく、車いすテニスの中でも3肢以上に障がいのある人がプレーする、クアードクラスでロンドン・リオのパラリンピックの代表選手と知り合うことができました。
 自分も社会人になってテニスを出来る環境を探していて、彼に車いすテニスに誘われて興味を持ったのです。それまでは自分は義足で健常者と一緒にテニスをしていたので、車いすテニスという選択肢は考えもしていなかったのですが、実際にやってみると車いすテニスを始めて2年前から国内大会に出るようになって 和歌山国体ではCクラスで優勝し、その後の大会でもBクラス優勝。
そして、1年ほど前から国際大会に出場するまでになりました。


 <世界の頂点を目指したい、そのためにあえて厳しい道を選んだ >

−−車いすテニスを始めて2年ほどで国際大会なんてすごい! 出場するようになって変わったことはありますか?


 まず、国際大会に出るようになると世界ランキングがつくようになります。私は今、世界177位です。そして世界の選手と戦うようになって、もっと上へ行きたいと思うようになりました。 この前シドニーの大会で準優勝した選手と対戦したのですが、全く歯が立たないわけじゃない。いつか彼のようになれるのではないかという期待感、ワクワクした気持ちになれたんです。目標を大きく持とうと気持ちが変化していきました。 世界ランキング1位を目指して、東京パラリンピックでは金メダルを狙いたいと真剣に考えています。 そのためには世界大会に参戦して強い選手たちの中で揉まれないと成長もないと思っています。先週、国内で行われた北九州オープンでは準優勝することができました。でも世界のトップクラスを目指すには国内外を含めて年間25〜30大会は出場しないと難しいと言われています。 それだけの試合をこなすために、会社も退職し、練習量を増やして、テニスに専念できる環境に身を置こうと思ったのです。 車いすテニスは2020年の東京オリンピック・パラリンピック開催に向けて人々や企業の関心も高まってきています。国枝慎吾選手などの活躍で比較的知られている種目なので、自分もここが頑張りどころだと思っています。


 

世界で活躍するために >

−世界で活躍する車いすテニスプレーヤーになるために、今必要と考えていることはなんでしょう?

まず、自分自身の課題としては、車椅子の動きにもっと慣れることです。ボールを打ってすぐに返ってくるボールに対応するために、車椅子を機敏に操らなくてはならない。今まで車椅子の生活をしていなかった私にはまだまだ練習が必要です。 それと、テニスのスキルももっと上げていかなくてはいけないと考えています。自分が少年時代からやっていたのは軟式テニスだったので、硬式のボールでは全然感覚が違います。ボールコントロールの精度も高めていかなくてはなりません。 他に、これからの活動の状況を考えると資金も必要です。現在は強化選手に選ばれているので、強化合宿の参加費や指定された大会への参加費は出してもらえますが、コーチも必要だし、普段の練習や、転戦する費用、そして車椅子や義足、テニス用具にもお金がかかります。生活するための生活費だって必要ですから、今スポンサーを探していろいろとあたっているところです。 車いすテニスは手段。
本当に伝えたい目的とは テニスはもちろん大好きです。でも車いすテニスは自分にとっては手段です。今の自分がアピールできることを考えたときに、真っ先に思い浮かんだのがテニスでした。 車いすテニスを知らなければ「テニスが好き」という趣味の枠を出なかったでしょう。
でも車いすテニスをやるようになって世界が見えてきました。さらに上を目指すのは、自分のためというよりも車いすテニスを通して多くの人に伝えていきたいことがあるんです。

 −車いすテニスは手段なのですね。 それでは荒井さんが伝えたいこととは?

 まだまだ世の中には障がいを持っている人に対して垣根があって、社会に馴染めないでいる子供達や大人もたくさんいると思うのです。健常者から見れば障がいのある人とどう接していいかわからないことも。子供の頃の教育というところから、そのようなマイノリティーの人たちとの垣根を取り払っていく必要があると感じています。 本当のバリアフリー、フラットな社会を実現するために、自分が率先して、幼い頃の自分のように将来を悲観している子供達にも、こんな生き方があるんだと示していけるようになりたい。偏見をなくしていきたい。そのために自分は車いすテニスというものをもっと極めていきたいのです。なので車いすテニスは目的を達成するための手段です。

 取材後記
障がいといってもさまざまです。人によってどのように接して欲しいのか、また接すればよいのかわからなくて戸惑ってしまうこともあります。荒井さんの義足を見て見ぬふりされるのが辛かったという言葉が刺さりました。背の低い人が高いところにあるものを背の高い人にとってもらうような感覚。「何か手伝えることある?」そんな風に自然に聞くことができる社会であって欲しい。そのためにまずは自分の活躍を魅せたいと話す荒井さんはとてもカッコイイと思いました。2020年のパラリンピック、荒井さんの活躍を会場で観たいですね。応援しています! 

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